考察:鍋割坂【隼町】の場所
昔々の江戸切絵図に書かれている坂は、本当はどこに行ったのでしょうか?
1:ホテルグランドアーク半蔵門と国立劇場駐車場の間
2:国立劇場と国立劇場駐車場の間
3:FM東京とホテルグランドアーク半蔵門の間
可能性のあるのは上の3つ。
一般的には、1が鍋割坂とされています(本サイトでもこことしています)。
しかし、ものの書物によっては、2と記載されているところもありますし、実は坂らしく見えるのが3だったりします。
見た目は、3が一番傾斜があって坂らしく見えるのですが、平川天満宮の北に出る道となり、江戸切絵では平川天満宮のやや南に出ているため、恐らく異なると思われます。
goo 江戸切絵図:日枝神社周辺 (平川天満宮をご確認ください)
となるとやはり、1か2なるのですが、実はこの鍋割坂、明治になると地図上から消滅しているのです。
明治9年(1876年)に作成された「東京明細圖」を見ると陸軍の施設となっていて、3の通りから南側は道がなくなっているのです。そこから昭和20年頃までの地図では、鍋割坂のあたりは地図上に現れていません。隼町一帯が陸軍の施設になっているんですね。
一つの施設の敷地内となっているため、道があったのかも知れませんが一度は消えています。
その後、昭和22年の航空写真とかをみると一本の道が確認でき、そこに鳥居らしきものが移っているものがあります。おそらく、これが鍋割坂のある道なのかと思われます。
*前に出てきた goo の古地図サービスで江戸切絵図を昭和22年に切り替えると確認できます。
この位置関係からすると、1のホテルグランドアーク半蔵門と国立劇場の間が「鍋割坂」と考えられます。
0コメント